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顧客を自宅にご招待するワケ

福岡2001篇

平成13年2月号「こころの経営ゼミナール」

 私たちの学校は“思いたったが新学期”ということで、それこそ千差万別の入学日がある。100人の生徒さんが通っているとすれば、100通りの入学日がある。それを共通の国家試験日までにある程度の実力をつけて本番に跳び込ませるわけだから、至難の業務といっていいだろう。

至難さを例証する12項目

 至難とはこういうことだ。まず第1に勉学の開始日(入学日)が各人各様バラバラであるということ。これは共通の国家試験日までの期間が不揃いであるということだ。第2に入学者それぞれに実力の開きが相当あること。第3に仕事を持って通学される方々が大半のため、勉学を妨げる材料が際限なく発生すること。第4に受験勉強とは人間本来の「易きに流れる」性向に逆行する作業であるため、かつて打ち立てた「初心」との不断の闘いが不可欠であること。第5にいまだ取得せざる資格であるが、所詮、合格してもそれだけでは飯を食ってはいけぬことを通学している人すべてが知っていること。第6に受験するにも資格が必要ということ。第7に昨今は「給付金」問題がたびたび頭をもたげてくること。第8に全員の生徒さんが1回で合格しようとしていること。第9に受講料の負担が本人にのしかかっているため支払い日毎に学業継続か支払い停止かの二者択一を迫られるということ。

 列記すれば枚挙に暇がないほどであるが、いわばこれらの問題を全て解決して合格まで導いていかなければならないところに社会人学校の至難さがある。おまけに生徒さんを合格まで指導する前に、従業員をその業務(使命)の付託に耐えられる程度の水準にもっていかなければならないことが第10の至難さに挙げられる。第11はこういう業務を、尽きることのない生徒募集業務の無限連鎖の渦中で遂行しなければならないということ。そしてとどめはこういう困難ではあるが崇高な課題を誇りと生き甲斐をもってやってくれる人材の募集である。

社会人学校の経営は日々、自己矛盾との格闘

 合格させることが宿命の仕事、しかも一発でパスさせることをもってしか、ブランドへの階段を上がれない仕事であるということは、煎じ詰めていけば次のようなことである。それは生徒さんをして学校そのものを必要としなくなる状態に1日も早くもっていくことに他ならない。自己矛盾のようであるが、毎日やっている仕事とは、毎日自らを必要としなくなる人を作っていくことでもあるのだ! しかも、このことによってしかブランドになれないという宿命を生まれながらにして背負っているのが、社会人学校の経営といえる。制度入学の恩恵に浴するわけでもなく100%本人の自由意思による入学だけで成立させ、かつまた前述の様々な至難さと日々格闘し続けながらも自らを否定する人を作りつづけなければならない宿命とも共存せざるを得ない血みどろ、汗みどろのバトルが、社会人学校の経営・運営といえる。

ハッスルと感動で生まれたOB、OGの「九栄会」

 それだけに、たとえ受講期間に長短はあれども私たちの勧めに応じて入学して頂けるとあれば、感慨もひとしおだ。思わずハッスルしてしまうのである。

 今を遡ること21年前の昭和60年の年末12月にその年度に合格された皆様にご出席頂き祝賀パーティーを開催したのもその「ハッスル」の一例だ。すると、その「お返し」として会場で「このまま別れるのは何か心残りだ。同窓会のようなものを作ろうじゃないか」「合格させてもらった上に、こんなお祝いまでしてもらったのは初めてだ」等々の発言がこだまして出来上がったのが、現在の「九栄会」である。すなわち私たちも「ハッスル」し、生徒さんも「感激した」という次第である。双方共に喜んだのだ。

 以後、今日まで私たちの学校はそれこそ九栄会と二人三脚で歩んできたわけだが、今日ではその九栄会も相当の年間行事をこなすまでになってきている。そのご苦労に報いるために私は例年12月に役員さんだけでも拙宅にご招待して慰労会を開催している。これは私が学校を、職員を、そして講師を代表して顧客を「おもてなし」するということだ。しかし、顧客一般ではつかみ所がない。よって、その中の「合格者」に絞り込み、次に「九栄会加入者」に絞り込んだ。さらにその中の「役員さん」を絞り込み、ご招待することをもって、顧客一般(生徒さん全員)をご招待するという思想を打ち立てたのである。

「今日の生存」は顧客あってのこと

 私たちのお手伝いする「資格試験の合格」とは、「一生もの」のライセンスの取得である。人によって感じ方は色々あるだろうが、「一生もの」としては、意外と安い買物ではないだろうか。世間では電気代のように月々でいえばたいしたものでないものもあるが、「一生もの」と考えれば、莫大なコストがかかっている。1年12月として50年間で600ヶ月、よって月々の費用に600を乗じたのが「一生もの」としての価額といえよう。水道代、ガス代、通勤定期代などそれぞれ「一生もの」ととらえれば目の玉が飛び出る金額だ。その最たるものが家賃であろう。

 しかし、自社商品を購入して頂いた、もしくは購入し続けて頂く行為に対する謝意の表明として顧客を自宅にご招待する経営者は皆無に等しい。「今日の生存」は顧客あってのことであると心底思っているのであれば、それくらいを目標にして社業に励んで頂きたいと思う所以はここにある。一般的に標榜されている「顧客第一主義」の真価がここでも問われることになる。地場の中小企業の経営者よ、奮起せよ! である。