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意味のない南京屠殺館への献花式はやめるべきだ(その1)

ライセンスメイト篇

平成10年2月号「サイレントマジョリティ」

福岡県と江蘇省との姉妹契約

 福岡県は中華人民共和国の江蘇省と姉妹契約を結んでいる。国際交流を盛んにしていく上で良くある形といえる。企画は経済企画局の国際交流課が行っている。平成4年に姉妹契約が締結されているので今年、平成10年は6年目というわけだ。民間ベースの経済交流はこの契約でだいぶ弾みがついたという。

巧妙に挿入された南京虐殺館献花式

 しかし、ここで非常に憤懣やる方ない話がある。相互交流のスケジュールでも、福岡県が音頭をとっていく場合、省都南京の「南京屠殺記念館」に献花をしなければならない、ということになっていることだ。支那から日本に来て8年になるという南京生まれの青年ですら「バカなこと」と言っている。

我未不問元寇、君何故問南京

 国際交流の原則は「対等外交」である。一方が尊大になり、もう片方がやみくもに卑屈になるというようなことは絶対にあってはいけない。つまり、こういう事だ。戦争全般の死者への表敬ということであれば、現在は建立されてないが「福岡大虐殺碑」(福岡大空襲のこと)なるものへの表敬もしくは献花等を対置すべきだろう。それとも先の支那事変による支那側犠牲者の慰霊ということであれば、元寇(文永・弘安の役)で弊れた日本側犠牲者の慰霊を対置すべきだ。現在の政権がしたことではないし、はるか過去のことであるという点では両者は全く一致する。およそ、政府レベルでの交流の時、いかなる宗教で祭られてあれ(弔らわれていても)、元首が必ず相手国の戦死者の墓地に表敬訪問しあうことは古今東西を問わずいわば「国際常識」、「国際慣行」なのである。

 これは彼ら戦死者の祖国に対する「忠誠心」と発揮された「勇気」に対して共に表敬しあうのであって、彼ら戦死者の「戦争目的」に対して表敬しあうのではない。ここを混同すると大変なことになる。

「南京大虐殺」はなかった

 南京攻略戦の大隊長であった森王琢(もりおうみがく)氏によればそもそも南京大虐殺などという事実はなかった。真相が暴露されることを恐れる北京政府が日本側調査団の入国を頑なに拒み続けていることからもこのことは明らかだ。また、『戦死』は自動詞であるが、『虐殺』は他動詞である。それゆえ虐殺という言葉は下手人なる者を告発し、糾弾し続ける。しかも、モニュメントとして建立されたということは未来永劫にということだ。

 しかし、一体そのような政治目的をもってたてられた「記念館」なるものにまるで「漢の倭の那の国王」のようにノコノコと出向いていくという神経が判らない。聖徳太子から貫かれている対等外交の伝統が今、確実に崩れつつある。

 およそ、虐殺なる言葉を戦死に対置させるなら人類史は此類なき虐殺史ともいえるだろう。福岡大空襲も「福岡大虐殺」であるし、元寇も「文永・弘安の大虐殺」という具合だ。しかし、わが国はあえてそのような表現を避ける形で周囲の国とうまく協調してやってきている。それは、とりもなおさず、他国に対する配慮である。告発し続けても死者は蘇ってきてはくれない。いわんや、今日からの生活が変わるわけでもない。文化論からいえばわが国の国民性に一番なじまないものの一つが「怨のエネルギー」といえる。

社会主義・共産主義の方がひどい大量殺戮

 はっきりいっておくが戦争とは個人的怨恨で開始したものではない。それは、正義と正義の国家意思のぶつかり合いである。よって問われるのは強弱であって、善悪ではない。スターリン2,000万人、毛沢東3,000万人、ポルポト150万人というそれこそ天文学的な数の人々が彼らの治世下で虐殺されたという。(なお、これは内戦だけの数である。)そして、チベットでは今もなお北京政府による大量殺戮が現在進行形で遂行されている。これらと比較すればヒトラーなど子供だ。しかし、両者の間には決定的な違いがある。前三者は共産主義・社会主義の旗のもとでのことであるが、後者はそうでないということだ。だから後者については「正義の味方」のような顔をして追求するマスコミも、前者については固く口を閉ざしたままでいる。彼らの中には社会主義・共産主義イコール善で、資本主義イコール悪だという図式がまるであるかのようである。

 崩壊した政権、少々のことを言ってもさしあたり報復される心配のない政権や指導者、国家や体制に対してだけ糾弾するというのであれば、もはや社会の木鐸たるマスコミとはいえまい。それは単なる下衆の瓦版屋か、醜悪なノゾキ見屋でしかない。要するに見識も良識も卓見も史観もいらないし、誰でも出来るということだ。(以下続く)

〈参考資料〉

昭和42年9月中国外務省は日本人特派員全員を呼び出し、各社の北京支局を次々に閉鎖し、国外に追放した。再び北京支局を開設する為に我が国の報道機関は以下の条件をのまされた。

対日政治三原則

①中国敵視政策を行わない

②二つの中国をつくる陰謀に加わらない

③日中国交正常化を妨げない

 要するにこの原則を受け入れた新聞社のみ再入国を許可したのだ。知日派国際ジャーナリストのホーギクニー氏は「日本の新聞は北京に対し土下座政策をとった。屈服しないのは産經だけ」と書いている。「他の新聞が中国報道で見せた称賛と熱心さは、同じ新聞が戦前の中国での日本軍の活動を報じた記事を思い起こさせる」と。